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 内谷には、江戸時代に祭り囃子があったといわれる

昭和55.3月編簿 浦和市史 民俗編

内谷には、すでに江戸時代に祭り囃子があったといわれ、嘉永年間(1848~54)の銘の入った鉦もある。
現在伝わる祭り囃子は明治の20年代に復活したもので、赤塚(東京都板橋区)に住む"笛カメさん"という人から習ったものだといわれている。
笛カメさんは笛の名人であり、鼻息で笛を吹くこともできるほどだったという。内谷からよそへ囃子を教えたことはない。

平成10年3月編簿 埼玉県民俗芸能調査報告書 第13集 埼玉の祭り囃子Ⅶ(北足立地方編2)

起源については多くの説を持つ。一説には江戸時代には内谷では、すでに囃子があったという。また元々は、依頼先は不明だが、
よその地区に頼んで囃子を出していたともいい、明治の初めごろ、白子地区の人により始められたとの言い伝えもある。
鉦が文化期のものと考えられることから、(「内谷村若者中 西村和泉之守作」の刻銘のある鉦が伝わっている。
作者としてある西村和泉之守は、内谷の一条院の金剛盤(文化7年・・市指定文化財)の刻銘にもある。)
白子から伝わった囃子は復活したものという考えもある。
また復活した囃子は、赤塚(板橋区)から伝わったとも言われる。内谷からよそへ教えたことはない。
(中略)昭和の初め頃までは、東京に叩きに出かけた。調神社の祭り、蕨神社の祭りでも頼まれて演奏した。

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